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由緒

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八多神社

八多神社

鎮座地
兵庫県神戸市北区八多町下小名田284

御祭神
天照大御神/稲荷大神/廣田大明神/八王子大明神/ 春日大明神/生野大明神/子安大明神/住吉大明神/ 八幡大菩薩/加茂大明神/松尾大明神/熊野大明神/ 布留大明神/白山大明神/大原大明神

社殿
本殿(神戸市指定有形文化財)
末社(猿田彦神社・稲荷神社・皇稜遥拝所)

由緒

八多は古くは「幡多」と記され、「秦氏の居住地であった」「攝津の端の地である」「機織りに関係がある」「畑である」等、諸説があり、定かでない。
古い記録によると、三十一代用明天皇の時、物部守屋が六甲の嶺より遥か西北に杉・檜の森を望み、神霊の宿る聖なる杜であると信じ訪ねたところ、樵がいて、「天照大御神は神代の昔からこの杜に鎮座され、神功皇后に付き添って三韓を親征し、皇后は神のおしえに従いお祀りになった」と告げた。
守屋は斎戒し謹んでお祀りし、神のお告げを受け、殿舎を建て荘田を献じた。
(『幡多明神御由来記』文亀三年 神祇大副卜部兼具撰)

その後、延喜の朝、神誨によって稲荷大神を奉祀し、さらに十三社を合祀した(その後、惣社、十五社とも呼ばれる)。歴朝、大社に準じて崇められ、即位、大嘗、祥瑞、災害等、いやしくも事があればすぐ使いを遣わして祭告し、祈謝された。
(『明神分霊記』明應元壬子八月朔別当明王院清順記)

弘安四年、元が我が辺境を冠し、朝命により調伏を祈る。結願の日、大風雨で賊艦漂蕩、皇兵勢に乗じて追撃し磯部に敵を亡ぼした。
永延の頃、三条古鍛冶宗近は夢での神の教によって鋭利な刀を造り奉納した。
天慶の乱では、参議忠文は先ず当社に詣で、霊矢で手ごわい相手を倒した。
源頼光は大江山の賊追悼の途、九郎義経は一ノ谷に向かうに当たり、当社に詣でた。
(『八多明神霊現記』天文二年 卜部兼右)

最近では、明治四十二年五月に近隣の九つの神社を合祀した。
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